2005年8月20日
ダーク、ショッカー .....
渡辺千賀さんのブログで「キカイダー」の話題 が盛り上がっている。 はなびしさんからのコメントにもあったように、現在、 シリコンバレー・ベイエリアでも土曜の深夜に放送されている。 何を隠そう、この深夜の放送のキカイダーを私も毎週欠かさず見てたりする。日本でのオリジナル版が放送されていた際にも見ていたのだが、 さすがに当時は幼かったので細部に関してはほとんど忘れていた。 しかし、この年になってから改めてみてみると、 予想以上によくできていて関心している。
現代と比較すると特撮の技術などの未熟さは隠せないが、 見るに耐えないことはなく、今の子供達にも十分通用するのではなかろうか。 幼い当時は考えも及ばなかったが、 当時の限られた技術、限られた予算、限られた時間で よくこれだけの作品を作り上げたものだなと、 作る側の苦労を想像してしまうのは、年のせいか、それとエンジニア気質のせいか?
キカイダーとくれば、必ず対比されるのが「仮面ライダー」であろう。 そう言えば日本のこの手のヒーロー物は、仮面ライダーといい、キカイダーといい、 それから月光仮面といい、みんなオートバイに乗っている。 一方、アメリカのこの手のヒーロー「バットマン」は車に乗っている。 この辺が ホンダ・ヤマハ・スズキ・カワサキ と二輪車が強い日本と GM、フォード、クライスラーのビッグ3に象徴される車社会アメリカの違いかなと ふと思ってしまった。
キカイダーに出てくる悪の軍団が「ダーク」と呼ばれているが、 一方の仮面ライダーの方は、ご存知「ショッカー」。 「♪ せまるショッカー、地獄の軍団 ♪」と主題歌でも唄われているので 皆さんご存知のハズ。 このショッカーの怪物の多くは昆虫をモチーフにしており、 仮面ライダー自身が「コオロギ」を基にデザインされているらしい。 そして、この地獄の軍団の組織名称「ショッカー」も昆虫についている「ショッカク(触覚)」からモジられたと聞いたことがある。
そういえば、今、日本では、ショッカクならぬ「シカク(刺客)」というのが流行っているのでしょうか?
お後がよろしいようで。
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2005年8月14日
四間飛車とシリコンバレー(2)
前回は、「四間飛車とシリコンバレー」という題名なのに 野球の話しだけになってしまった。では今回こそは将棋のお話しをしよう。私は将棋も好きで、小学生の頃からやっていたが、 その当時は単なる自己流で、あーでもない、こーでもない、と 自分なりに研究していた。 そんないい加減なやり方でも、小学生同士のゲームとしては、 周りの友達に負けることはなかった。
しかし中学になると、世の中そんなに甘くはなく、 どうしてもある友人には勝つことができなかった。 そこで、その友人にどうしてそんなに強いのかを尋ねてみると 彼は、定石を勉強していると教えてくれた。 お恥ずかしながら私はそれまで、将棋に定石というものがあることを知らなかった。
それから、定石本や詰め将棋本を読みあさりはじめた。 当時は中原誠名人の時代であったので、「中原誠のXXX」的な 本をよく買っては読んでいた。
最近の将棋に追随していないので、 今となっては的外れなのかもしれないが、 中学生当時の記憶を思い起こすと、 将棋の王道というかスタンダードと言えば「居飛車に矢倉囲い」で あったと記憶している。 しかし、自分はどうも居飛車で指すのに抵抗があって いつも振り飛車、それも「四間飛車に美濃囲い」 という戦法であった。
梅田さんの将棋ブログを読みながら、ふと考えてみると、 当時の 「四間飛車に美濃囲い」 という自分の「棋風」 (素人将棋に棋風なんていう格調高いものがあるとは言えないが)と 現在、シリコンバレーに住み着いている、という自分の「生き様」には 何か共通点があるのではないか、と感じてしまった。 つまり王道というかスタンダードというか、 そういうものから外れているという点、 もしくはそういうものに対して抵抗感がある点に関しては 中学生当時の戦法を今でもそのまま実践しているのかな、と 今の自分を顧みてしまった。
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2005年8月13日
四間飛車とシリコンバレー(1)
梅田さんのブログを拝見していて、思い出した事、それから感じた事を書いてみたい。 梅田さんとは光栄にもJTPAの活動等でご一緒させて頂いている。 何を隠そう、私がJTPAの活動を始めたのも梅田さんのCNETブログ がきっかけであった。梅田さんの先日のエントリー『「野球への愛」に溢れた5作品でメジャーリーグをさらに楽しむ』 に、 梅田さんの野球との関わりについてが説明されていた。 それを読ませて頂いて、自分も小学生のころは学校から帰ると、 グローブとバットと軟式ボールという三種の神器を 自転車に積んで広場に一目散に集まっていたのを思い出した。
小学生高学年当時の私は、 試合用と練習用の2つグローブを使い分けていた。 試合用は決して高価ではないがチョット新しいグローブ。 そして練習用グローブは、小学生低学年のころから使っていて、 既に自分の手には小さくなってしまっているにも関わらず、 その上あえて親指と人差し指の間にある捕球部分をわざと外して、 もうグローブと呼ぶより手袋と言った感じのシロモノ。 それを使って「左手の手のひらでボールを捕る練習だ」と 馬鹿なことを言いながら練習していたものだった。
そんな私も中学に上がる際に、自分には野球は向いていないと悟って、 それ以来、野球をほとんどやらなくなってしまった。 その後、観戦する方にもあまり興味がなくなってしまい、 今ではアメリカに住んでいるにも関わらず、 大リーグのこともほとんど知らない有様だ。
梅田さんは将棋に関しても造詣が深くいらっしゃるが、 私にとって、こと将棋に関しても、この野球と同じような思い出がある。 今回のエントリーでは話しが四間飛車まで辿り着かなかったが、 それは次回とさせていただこう。
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