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2006年7月23日 - 2006年7月29日

2006年7月29日

ガス漏れ防止剤 Maxi Seal (MLR-2)

車のエアコン・シリーズの続き。 昨日のブログで取り上げた ガス漏れ防止剤(Leak Sealer) のうちの 一つが、運良く近くのショップでが入手できたので、 それについてのレポート。

入手できたのは、インターダイナミクス(interdynamics) の 「Maxi Seal (MLR-2)」。 近くの PepBoys に置いてあった。 これは、ひとつのパッケージに2つの小さなスプレー缶が入っていて、 それぞれのカンに番号がふってある。 #1の方が、メタル(金属)系の漏れ防止剤、 #2の方が、ラバー(ゴム)系の漏れ防止剤。 わざわざ、缶を2つに分けてあるところが、いかにも効ききそうな雰囲気を醸し出している。

通常、インターダイナミクス(interdynamics) の製品については、 マニュアルが PDF形式でダウンロードできるのであるが、 あいにく、この Maxi Seal (MLR-2) に 関するマニュアルは見当たらない。 そこで、折角現物が手元にあるうちに、その裏面のマニュアルを 記録として引用させていただくことにする。

Maxi Seal (MLR-2) Directions:
  1. In a ventilated area start engine and turn A/C to maximun cooling.
  2. Take Maxi Seal #1, and shake can vigorously. Snap "Direct Charge Adapter" on top of can.
  3. Hole can upside down and press firmly onto your air conditioner's Low Side Service port until empty. There will be a small amount of material remaining in can.
  4. Follow this application immediately with Maxi Seal #2, applying the same procedure. This will flush metal sealer from A/C Service Port as well as seal rubber leaks.
  5. If A/C System is empty, charge immediately with refrigerant. In all cases, run A/C System for 15 minutes to circulate sealer.
要するに、通常の冷媒ガスの注入と同様に、 エンジンをかけて エアコン最大。 低圧側のサービス・ポートへ #1、#2 と順番に注入してゆく。 あとは、15分、エアコンを回しつづけること。

カテゴリー: エアコン     22:11 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月28日

カーエアコン ガス漏れ防止剤 調査

車のエアコン・シリーズの続き。 エアコンの冷媒ガスが漏れてゆくのを防ぐ ガス漏れ防止剤(Leak Sealer)についての調査。

以前のブログ 「 カーエアコン 冷媒ガス充填 実践編 1日目 」や「 カーエアコン 冷媒ガス充填 実践編 2日目 」で ご紹介したとおり、 知人の方の車のエアコンを修理(というか、 単にガスの補充を行っただけではあるが) をさせていただいた。

その後、オーナーの方によると、2〜3日するとまた エアコンが効かなくなったそうである。 前回 充填した冷媒ガスには おまけでガス漏れ防止剤が混入されているのだが、 残念ながら、それくらいでは塞ぎきれない穴が エアコン・システムのどこかにあいているのであろう。

このような場合、実際の医療の現場でも同じかもしれないが、 外科的処置を施す前に、できる限りの内科的処置を行ってみた方が、 時間的、金銭的な浪費が少ない可能性が高い。 つまり、ここで焦って エアコン・システムを分解してオーバーホールをすることより、 まずはケミカルの注入で難を逃れられるのであれば、それを行ってみた方がよいということだ。 そこで次のステップとして、ガス漏れ防止専用のケミカルを試してみることにする。 ではそれについて調査してみる。

まず、この手の製品最大手の インターダイナミクス(interdynamics) のサイトを覗いてみる。 Leak Sealersのページに 4つの製品が挙げてある。 そのうちの3つは ガスケット、ホース、Oリング(O'Rings) 等の ラバー部品専用である。 Maxi Seal (MLR-2) という製品は、2つのスプレー缶がセットになっており、 その片方には金属部分のシーリング機能もあるようである。

それから、 イー・エフ プロダクツ (EF Products, Inc.) の方にもいくつのもシーリング剤があるが、その中でも、 R134A SUPER SEAL という製品は メタル系のリークにも対応しているようである。

上記の メタルとラバーの両方に対応した ガス漏れ防止剤 の2つのうち どちらかを入手して試してみようと思う。

カテゴリー: エアコン ,     22:10 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月27日

第3回鹿児島大学シリコンバレー研修ツアーの 顔合わせの会

今回で3回目を迎える 鹿児島大学シリコンバレー研修ツアー への参加学生が正式に選考され、 その「顔合わせの会」が、鹿児島大学のVBLで行われた。 私もSkype経由で この会に参加させていただた。

昨年10月に 鹿児島大学シリコンバレーオフィス オープニング・セレモニー と 同時開催された第2回に引き続き、この9月に 「第3回鹿児島大学シリコンバレー研修ツアー」を行うことになった。 それに伴い鹿児島大学学内では6月中から参加希望学生を募集し、 定員を越える応募のため厳正な審査が行われた。 その結果この度、10名の学生と2名の職員が選出された。

そして、この7月27日(木)18時(日本時間)から 本学VBL2階ディスカッションルームにて 参加者とサポート・スタッフが初めて一堂に会する「顔合わせの会」が行われた。 私は、前回の第2回シリコンバレー研修ツアーの際にも、ブログ「 スカイプ(Skype)で ツアー参加学生との会議 」で書いたとおり、 Skypeを通じて参加の学生さんと事前に交流を図らせてもらっているが、 今回はそれを第1回目のミーティングである「顔合わせの会」の時から参加させていただけた訳だ。

この「顔合わせの会」では、サポート・スタッフから参加予定者へ 研修ツアーについての説明を行ったり、 参加者それぞれが自己紹介を行ったりした。 私はそれをSkype経由ですべて聞かせてもらった。 ただし こちらの時間帯で夜中の2時から朝の4時までになってしまったのが少し苦しかったが。

「顔合わせの会」後、自己紹介時に撮られた写真も私の手元に送られてきたので、 既に参加者全員のお顔も確認できている。 ツアーも3回目ともなると、だいぶノウハウが蓄積されてくるものである。

さて今回参加の皆さん、一緒に最高のツアーにしてゆきましょう。

カテゴリー: 鹿児島大学シリコンバレーツアー     22:41 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月26日

Perlのバージョンアップ

以前のブログ ブログ「 MTプラグインが認識されない 」と 「 Storable.pm 」の続き。 パールのモジュールを追加できたので、 これで問題解決か、と思ったら甘かった。

MovableType の プラグイン「mt-ban-norefertb.pl」に関して 確かに、「Storable.pm」というパールのモジュールが見つからない、 というような内容のエラー・メッセージは出なくなったのだが、 代わりに、
Plugin error: /usr/www/users/mt/plugins/mt-ban-norefertb.pl Compilation failed in require at /usr/www/users/mt/lib/MT.pm line 293.
という別の エラー・メッセージが表示されるようになった。 それに、もう一つのプラグイン「mt-ban-ascii.pl」に関しての
Plugin error: /usr/www/users/mt/plugins/mt-ban-ascii.pl BEGIN not safe after errors--compilation aborted at /usr/www/users/mt/plugins/mt-ban-ascii.pl line 17.
というエラー・メッセージも以前から残っている。

さて、これらのメッセージから、自サイトの Perlのバージョンが古いのではないかと思われたので調べてみた。
% perl -v
This is perl, version 5.005_03 built for i386-freebsd
ちなみに上記2つのプラグインが問題なく動作している JTPA のサイトでも同じことを行ってみると、
%perl -v
This is perl, v5.8.3 built for i386-freebsd
今までPerlのバージョンが古くても、MovableType が問題なく動いてくれていたので、 そのままにしてきたのだが、この際、Perlの バージョンアップを行うことにした。

例のごとく私が使ってるサーバーのOS が FreeBSD なので
cd /usr/ports/lang/perl5.8/
make install
これを行うと、 /usr/local/bin/perl が新たに作られる。 ちなみに従来の バイナリは 「 /usr/bin/perl 」であり、これはこれで残ったままである。 そこで
cd /usr/bin
mv ./perl ./perl.org
ln -s /usr/local/bin/perl ./perl
これで、MovableType側の設定を全く変更することなく 新しいPerlを実行することができるようになった。 MTの管理画面で確認してみると、「利用可能なプラグインの設定」として 2つのプラグインがリストされるようになった。 これで少しはスパムが減るであろう。

カテゴリー: FreeBSD , MTスパム     22:41 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月25日

内田慶四郎氏の農場見学

急遽、サリナス(Salinas)にある 内田慶四郎氏の農場 を見学させていただくことになった。 慶四郎 氏とは、 「戦後移民の父」と呼ばれていた内田善一郎氏の弟さんにあたる方である。

サリナス(Salinas)はシリコンバレーから車で約1時間半ほど 南に下ったとろころ。 カリフォルニア内でも有数の農業地域であるが、特に花の栽培が盛んな地域。 お話しによると、お花産業において、全盛期には サリナスが全米の80%、 そのうち、日本からの移民一世が90%を占め、 さらにその内の90%を鹿児島からの移民一世が占めていた ということであった。 当時お花は、作れば作っただけ売れていったそうで、 いわゆる「飛ぶように売れて」いったそうである。 しかし、今日では、南米からの安いお花が市場に入ってきており、 最盛期にサリナスに62件あったお花農場も、 今では7件になってしまったそうである。

慶四郎氏の農場はサリナス(Salinas)の中心部から もう少し南に下ったところであった。 到着すると、まず農園内をご案内いただいた。 予想していたことではあるが、ともかく広い。 グリーン・ハウスと呼ばれる広い温室や、 出荷用のパッキング工場、生花を保存させておく冷凍室など 広大な設備が整っている。 グリーン・ハウス内を歩いてみると、 カーネーション等のさまざまなお花はもちろん、 最近は、お花以外にもいろいろな作物を栽培されておられる。

農場をご案内いただいた後、園内にあるお屋敷にて 慶四郎氏と奥様からいろいろなお話をうかがった。 鹿児島からアメリカへの移住の経緯、 移住直後のご苦労の様子。 現在のご家族のこと、 郷土鹿児島からはもちろん、日本全国から 農業実習生を受け入れていること、等 話題は尽きなかった。

この9月に開催予定の「第3回 鹿児島大学シリコンバレー研修ツアー」でも ご訪問させていただく予定としている。 この内田慶四郎氏の農場を見学することは、 鹿児島から来る若い学生の皆さんにも きっとよい経験となるであろう。

カテゴリー: 鹿児島大学シリコンバレーオフィス , 鹿児島大学シリコンバレーツアー     22:18 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月24日

町村家 と 内田家 の関係は?

先日のブログで、 町村 前外務大臣の 町村家 と 内田善一郎氏の内田家では 古くからの交流があったそうだ、 と書いた。 さて、その経緯とは。

町村信孝 前外務大臣は北海道第五区を基板とされている。 信孝氏の父親は、 「町村金五 氏」。 町村金五 氏は、 北海道知事を3期、衆議院議員、第2次田中内閣では自治大臣も務められた 政治家である。 そして、町村金五 氏の父親、つまり、町村信孝氏の祖父は、 「町村金弥 氏」。 町村金弥 氏は 札幌農学校(現北海道大学)で初代教頭を務めた 「Boys Be Ambitious (青年よ、大志をいだけ)」で有名は クラーク博士 の教えを受けている。 その後、北海道・東北各地での農業振興に尽力し、 北海道で近代的な農場を開いたそうである。

一方、昨日のブログ 『 なぜ 内田善一郎氏が「戦後移民の父」と呼ばれているのか 』で、 内田善一郎氏は、新しい農業研究のため、日本各地に研修に行った、と書いたが、 実は、町村金弥氏が北海道に開いた農場にも 善一郎氏は鹿児島から研修に行っているのである。 町村家 と 内田家 との関係は、その時以来、数十年に渡って、 今までずっと続いてきているそうである。

日本から遠く離れたアメリカの地で、こういう話を聞くと、 なんとも感慨深いものである。 そして、歴史の不思議さを思い知らされることになる。

【参考リンク】

カテゴリー: 鹿児島大学シリコンバレーオフィス     22:02 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月23日

なぜ 内田善一郎氏が「戦後移民の父」と呼ばれているのか

昨日のブログで内田善一郎氏がお亡くなりになられたことを書いた。 今日のブログでは、 内田善一郎氏が なぜ「戦後移民の父」と呼ばれているのか、ということについて、 正確ではないと思うが、私の理解している範囲で書かせていただく。

戦争直後、内田善一郎氏は20歳代の若さで 鹿児島県串木野市の市議会議員を務めておられた。 善一郎氏は戦後の混乱で貧しさに苦しんでいた郷土鹿児島の 農業の立て直しを図るため、新しい農業について研究されておられた。 そのため、日本中の先進的な農場・農園 等を視察・研修されていた。 最終的には アメリカへの農場研修へも参加することになった。 そこでアメリカの先進的な農業を目の当たりにしてきた善一郎氏は、 鹿児島の農家はアメリカへ移民し、アメリカの先進的な農業を学ぶべきである、 という結論に達した。

しかし第二次大戦後、敗戦国であった日本からは アメリカへ移住することが出来なくなっていた。 そこで善一郎氏は奔走し 日本政府、アメリカ政府に何度も何度も掛け合って、 アメリカへの移民受け入れを了解させることに成功した。 そして鹿児島からアメリカへの350人の移民団を結成し 善一郎氏みずからもその団長として、アメリカへ移住されたのである。

鹿児島から急にアメリカへ移住された350名の方々のご苦労は 並々ならぬものであった。 もちろん、沢山の問題も起こったが、 日夜奔走してそれらの問題を解決していったのも善一郎氏であった。 こうして、鹿児島からの移民の方々の努力の末、 例えば、モーガン・ヒル(Morgan Hill)、ギルロイ(Gilroy)、サリナス(Salinas)等に 広大なお花畑を開拓されたのであった。

このような経緯により、鹿児島からの移民の方々は、 内田善一郎氏を「戦後移民の父」として慕い、 そして善一郎氏への感謝の気持ちを忘れない。

カテゴリー: 鹿児島大学シリコンバレーオフィス     21:10 | コメント (0) | トラックバック (0)

 
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