この「Moffett Field Museum」については、1日分のエントリーで十分と思って書いていたら、
調べて行くと、どんどん長くなってしまうので、
既に第3話となってしまった。
さて、あの巨大な「ハンガー・ワン(Hangar-One)」をどう使ったのか、
なぜ、当時の海軍はあのような格納庫を建設しなければならなかったのか、
ということについて。
結論から言うと、その当時の軍事飛行船 メイコン号 (USS Macon) の
母港とするのが目的であった。
全長785フィート(約240m)の巨大な船体を収容するためには、
さらに巨大な「ハンガー・ワン(Hangar-One)」が必要だったわけである。
その当時の飛行機には長距離大量輸送の能力がまだなかったため、
飛行船こそがその手段と考えられていたからである。
メイコン号は、1933年10月16日より、このモフェット・フィールドを新しい母港として利用するようになった。
このメイコン号は、ジョージア州の都市 Macon から名づけられた飛行船で、
これは当時の海軍省の大臣がジョージアから選出の下院議員であったという
非常に政治的なネーミングである。
飛行船は、その表面の素材により、
表面が固い硬式飛行船と、非硬式飛行船に分けられる。
メイコン号は硬式飛行船に分類されるが、
これはその開発者にちなんで、
「
ツェッペリン(Zeppelin)飛行船」と呼ばれている。
この巨大なメイコン号には、
5機の スパローホーク(Sparrowhawk) と呼ばれる小型飛行機を搭載。
上空で発進させて偵察飛行をおこない、再び船内に収容するという
当時としては大胆な事を行っていた。
これを無理やり例えるなら、
宇宙戦艦ヤマトで、ブラック・タイガーやコスモ・タイガーII等の艦載機が
発進したり着艦したりするイメージ。
では、実際の発艦・着艦はどうやっていたかと言うと、
まず発艦するためには、
メイコン号の下側部分のハッチを開けて、そこからパイロットが乗った小型機を吊り下げる。
それからエンジンを回す。エンジンが温まり飛行態勢に入った段階で、パイロットが自分で自分の機体を切り離す。
滑走路もなく飛行船から急に大空に飛んでいくのは結構スリリングであったであろう。
さらに難しいのが着艦する際である。
ちょうどブランコの様な物をメイコン号の下側部分に垂らしておく。
着艦したいスパローホークは、飛行船と同じスピードで飛行しながら、
2枚ある羽の上についているフック(ちょうどハテナマークのような金具)を
そのブランコに引っ掛けるのである。正に「空中ブランコ」の曲芸技なのである。
それからこのメイコン号には、もう一つ装備があった。
それを英語では「spy car」と表現している。
宮崎駿の天空の城「ラピュタ」で
空中海賊ドーラおばさんの母艦タイガーモス号が
ムスカ率いる艦隊に見つからないように雲の中を航行しながら、
見張り台の凧に主人公パズーが乗って、
雲の上から見張りをしていたのを覚えておられるだろうか。
これは凧だったので、母艦より上に上がっている格好であったが、
メイコン号では逆に、1000フィートのケーブルの先にゴンドラを付けて吊り下げ、
そこに見張りのクルーを置き、洋上を監視していたそうである。
そんなメイコン号も1935年2月11日に事故を起こし、
これがアメリカ軍での最後の軍事飛行船となってしまった。
カテゴリー:
その他のシリコンバレー関連活動
2005年9月 5日 17:05
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