この日、鹿児島大学からの職員一行はサンタクララ鹿児島県人会会長のお宅へ表敬訪問した。
県人会会長のお宅はシリコンバレーの南の町、モーガンヒル(Mogan Hill)で広大なナーサリー(Nursery)を営んでおられる。
この場合のナーサリーとは早い話し、巨大なお花畑屋さんである。
県人会会長は50年前、鹿児島から一人渡米され苦労に苦労を重ねてこの広大なお花畑を一代で築かれた。
当時はパンナム(パン・アメリカン航空)のプロペラ機で、途中2回給油しながら太平洋を渡ってこられたそうである。
その後、アメリカ人の農家で下働きをして僅かなお金を稼ぎ、その大半を日本の家族に仕送りをしながら、
残ったお金を貯めて自分の土地を手に入れたとのことである。
そんな苦労話しを鹿児島弁でおもしろ、おかしく話されていた。
話しの途中、「自分のナーサリーを始めた当時は、夜寝る暇もなかったから子供を作る暇もなかった。」
というジョークをおっしゃっていた。
半分はジョークかもしれないが、多分、半分は事実であろう。
私はそれを聞いて、私を含めた現代の世代が忘れている何かを語っていただいたような気がした。
ちなみに、その後事業も軌道に乗り、子宝にも恵まれ、現在は9人のお孫さんがいらっしゃるそうである。
そんな県人会会長のナーサリーも、
現在はアメリカ政府の市場開放政策のため、安いメキシコ産の花に押されているとのことであった。
どんな業種であっても、時代の波に対応して行くのは大変なことのようだ。
最後に県人会会長宅では大変な歓迎をしていただき、予定の時間をオーバーして長居させていただいた。
感謝の言葉も見つからないほどである。
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鹿児島大学シリコンバレーオフィス
22:50
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