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2005年6月

2005年6月30日

ティファニーの奇跡

最近、ずっと、「鹿児島大学教職員 来訪」シリーズできているが、 この旅の間に遭遇した面白い話しなどを、忘れないうちにブログに残しておこう。

鹿児島大学教職員 来訪第1日目」でふれた通り、この日、鹿児島大学教職員一行はサンフランシスコ(San Francisco)市内を歩く機会があった。

サンフランシスコ市内中心部、 ユニオン・スクエア(Union Square)のすぐ北側、ポスト・ストリート(Post St.)に オープン・ハートで有名な「ティファニー」がある。 折角サンフランシスコに来たのだからと、最もティファニーに似つかわしくない、 むさ苦しいおじさん4人で店内に入ってみることにした。

最近改装したティファニーの店内。 1階はティファニーに中でも高価な物しか置いていないので人影まばらであった。 2階に上がってみると、そこには沢山のお客がガラスショーケースに張り付いていた。

そんな中、傍らに新婚旅行だと思われる日本人の若い旦那さんが立っていた。 暇そうにしていたので、少しお話しをさせてもらった。

その旦那さんによると、奥さんは全く英語がしゃべれないそうである。 その奥さんが、ティファニーの店内に入るや否や、目の色が変わり、 旦那を差し置いて店内を物色し始めたそうである。 おまけに、とうとうアメリカ人の店員と英語で値段交渉を始めたそうである。

ティファニーとは、英語がしゃべれない女性を瞬間的に 英語で交渉できる程に変身させてしまうらしい。 恐ろしや、これぞ「ティファニーの奇跡」である。

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2005年6月29日

鹿児島大学教職員 来訪第8日目

最終日。帰国の日である。

鹿児島大学職員の方々はロスアンジェルス空港(LAX)発の全日空NH-7021便で帰国すると 聞いていたので、とりあえずANAのカウンターのある4番ターミナルへとお連れした。 ANAの係員に尋ねてみると、この便はユナイテッド・エアラインとのコードシェア便なので、 このカウンターでは取り扱いできない、ユナイテッドのカウンターに行ってくれ、 ということであった。

サンフランシスコ空港(SFO)であれば、ANAとユナイテッドのカウンターは同じGターミナルにあるので大した問題ではないが、 ここロスアンジェルス空港(LAX)の場合は大変である。 ユナイテッドのターミナルは、7番ターミナル。 たかが4番ターミナルから7番ターミナルの移動と言えども、 距離にすると500m以上ある。 もちろん無料シャトルバスというものがあるらしいが、 慣れないロスアンジェルス空港で、 沢山走っているバスの中から、目的のバスに乗り、目的のターミナルで降りる、 というは結構なリスクを負うことになる。

結局、「急がば回れ」ということで重いスーツケースをゴロゴロ転がして、4番ターミナルから7番ターミナルまで歩いて移動してしまった。 時間に余裕をとっていたので、乗り遅れることはなかったが、今後、注意が必要である。

【教訓】
空港に行く前にコードシェア便でないかどうかを確認すること。 コードシェア便の場合、シェアしている航空会社のうち、 どちらが実際の運行航空会社か、 どちらの航空会社のカウンターに行ったらチェックインできるのか、 シェアしている航空会社におけるその便の便名、 を事前に調査しておくこと。

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2005年6月28日

鹿児島大学教職員 来訪第7日目

ロスアンジェルス(Los Angeles)滞在3日目。 この日は、偶然にも時間に空きができた。折角ロスにいるので少しだけ観光コースを巡ってみた。

先ず、ホテルからサンタモニカ(Santa Monica)に向かった。 昨日の教訓から、ハイウェイ405号には乗らず普通の道だけを通った。 オーシャン・アヴェニュー(Ocean Ave.)近辺をグルグル回った後、 サンタモニカ・ピア(Santa Monica Pier)に車を停めた。

このピア(桟橋)は天然木の丸太を何本も海に突き立てて、 サンタモニカの砂浜の海岸の中央から500m程海へ突き出した形をした木製の桟橋である。 この桟橋の上には遊園地があり観覧車もあったりする。 シリコンバレー在住の人間から言わせていただくと、サンタモニカ・ピアは サンタクルーズ(Santa Cruz)のピア(桟橋)に非常に良く似ている。

サンタモニカ・ピアを後にし、昔のルート66にあたる サンタモニカ・ブルバード(Santa Monica Blvd.)を北に進み、 ビバリーヒルズ(Beverly Hills)に向かった。 高級ブティックが建ち並んでいることで有名なロデオ・ドライブ(rodeo Dr.)を通ってみたが、 車を降りて見るまでもない(我々には関係ないと言うこと)でそのままハリウッド(Hollywood)に向かった。

ハリウッド・ブルバード(Hollywood Blvd.)沿いのマンズ・チャイニーズ・シアター(Mann's Chinese Theater)に向かったが ものすごい渋滞で近づくことができなかった。 遠くに駐車して歩いてみて分ったことだが、 チャイニーズ・シアター前のハリウッド・ブルバードは完全通行止めになっており、 赤じゅうたんが敷かれ、放送関係機材と観客でごった返していた。 何か大きなイベントだったのであろう。 人ごみを押し分け、チャイニーズ・シアターへ辿りつき、ムービースターの手形・足形を拝むことができた。

午後からは急遽アウトレット・モールへ。 ホテルの観光案内パンフレットの広告にあった記事を頼りに10号線を東に走った。 1時間ほどで到着するかと思っていたら結局は2時間かかってしまった。 モール自体は、ほぼ、ギルロイ(Gilroy)と同じであった。

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2005年6月27日

鹿児島大学教職員 来訪第6日目

この日、ロスアンジェルス(Los Angeles)滞在2日目。午前中に空き時間がとれた。 我々は大学関係者ということもあり、UCLAを視察することにした。

UCLAはロスアンジェルス市内でも北部のウエスト・ウッド(Westwood)と呼ばれる地域にある。 我々はロスアンジェルス空港の近くのホテルに泊まっていたので、 405号線を使って北上しようと試みた。これがまたスゴイ渋滞であった。 あとで地元の方から聞いた話しだが、最近ロスアンジェルス空港の周辺は常に混み合うらしい。

ご存知と通り、UCLA とは、University of California, Los Angeles の頭文字である。 カリフォルニアでは、University of California と呼ばれる州立大学が州内のいたるところにキャンパスを持っているいる。 シリコンバレー近辺だけでも、 UCB(Berkeley), UCSF(San Francisco), UC Santa Cruz, UC Davis 等がある。 詳しくは、UC Campuses のページをご覧頂きたい。 その数あるUCのキャンパスの中でも、ロスアンジェルスのキャンパスが、 このUCLAであり、その知名度は日本においても抜群である。

キャンパス内の UCLA Store に行ってみると、 Tシャツ、トレーナーは当たり前、子供服から、文房具等、 ありとあらゆる物がUCLAブランドで売られている。 ここまでゆくと一大アパレル・ブランドと呼んでも過言でないほどだ。

午後は、リトルトーキョーにある 南加日系商工会議所にご挨拶。 ここにも多数の鹿児島県出身の方々がいらっしゃった。 鹿児島県出身の方々が南カリフォルニアの日系社会でも活躍されている証である。

その後、ロスアンジェルス鹿児島県人会の方々と夕食を共にさせていただいた。 ここでも、我々に対し大歓迎をしていただいた。 ご出席いただいたのは、人生経験、在米経験、どちらに関しても 私にとって大先輩にあたる方々ばかりである。 夕食会の間、大先輩方から貴重なお話しを頂戴した。本当にありがたいことである。

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2005年6月26日

鹿児島大学教職員 来訪第5日目

この日は、ロスアンジェルスへの移動日である。 教職員の方々には申し訳ないが、 早朝6時にホテルをチェックアウトしていただき、LAへ車で向かうことにした。

なぜ、日曜日にわざわざ、こんな早朝から移動することになったかというと、 以前のブログ「盛和塾」 にも書いたとおり、この日、ロスアンジェルスで 盛和塾の「福井顧問特別講演/合宿(京セラフィロソフィー)」が 行われており、それがこの日の午後3時に終了予定となっていたからである。 我々としては塾生の方々がおられる午後3時前に合宿会場に着き、 塾生の方々に直接、鹿児島大学シリコンバレーオフィス開所式について ご通知させていただきたいという思いがあった訳である。

シリコンバレーから車でロスに向かうルートとしては、 101号線を南下してギルロイから152号線を東に行き山越え。 それから5号線を真っ直ぐ南へひた走る。

日本から来られた大学職員の方々に、 5号線を時速120Kmで走りながら周りの景色を見ていただき、 アメリカの広大な大地を十分に体感していただけたようだ。 確かに5号線をひたすら走るというのも、 一生に一度は経験しておいた方がよいとも思う。 しかし2度も経験する必要はないとも言える。

休みを適当にとりながら走って、結局、目標時刻である3時には十分間に合って 午後1時半頃に現地に到着できた。

盛和塾の方々にも暖かく我々を迎えていただき、沢山の塾生の方々とも親睦を深めることもできた。 それから、盛和塾の皆さんは我々一行を2次会にまでご招待いただいた。 2次会といっても飲み会ではなくて、2次勉強会といったところ。 合宿のホテルから場所を変えて、さらに補習というか反省会というか、を行うのである。 そこでは、合宿に引き続き盛和塾の福井顧問により アメーバ経営について、塾生の方々の実際の会社にあてはめてのケース・スタディーが行われた。 これは私にとって大変参考になった。

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2005年6月25日

鹿児島大学教職員 来訪第4日目

この日は、ホテル回りをした。 「鹿児島大学シリコンバレーオフィス開所式」の開催場所探しである。 開所式はシリコンバレー近郊で行う予定となっているので、 式典を開催できそうな会場を備えたシリコンバレー内のホテルを回った。

単に走り回ってもなかなか見つかるものではないので、 事前に候補地を10個所ほど私の方で選別しておき、 それを鹿児島大学本学からの教職員の方々に見ていただいた。

式典を開催するという観点から、いろいろなホテルを回り歩くというのもやってみると結構面白い。 いくつかのホテルを見て、目が肥えてくると、 それぞれのホテルの特徴というものが理解できるようになってくる。

みんなで、いろいろ議論しながらホテル巡りをしていると、 おのずと、どのホテルが我々の開所式には最適かが見えてくる。 但し、これについては、未だ決定事項ではないので、 決定し次第、このブログでも公表させていただく。

さて、明日からは、LAへの移動である。

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2005年6月24日

鹿児島大学教職員 来訪第3日目

この日は昼間、北加商工会議所等を訪問させていただき、 夕方からは、私を含めて教職員全員で 『第21回JBCフォーラム「米国で活躍する日本人ベンチャーキャピタリスト」』 に参加させていただいた。

私も、過去何度もJBCフォーラムに参加させて頂いている。 通常、このフォーラムは日本語で行われているが、 この日はパネリストもモデレーターも全員日本人であるにも関わらず英語でのフォーラムとなった。 これは、日本語が理解できない方々も参加したいという要望があったからだ、と伺っている。

今回のJBCフォーラムでも、例のごとく音響係を担当させていただいた。 そのため、適宜ミキサーの調整を行うため、最前列中央に座らせていただいた。 このフォーラムに参加された方であれば、前の方で何やらガサゴソしていたのを覚えておられるかも知れない。

70名を超える方々の参加があったという事で二次会も大変盛り上がっていた。 通常は最後まで残ることにしているのだが、今回に限り、 早めに切り上げさせていただいた。

このフォーラムについては、全て英語でモデレータを務められた 赤間さんのブログ に真相が書いてある。 それにしても、全て英語での進行役、赤間さん、本当にお疲れ様でした。

カテゴリー: JBC/LSJ , 鹿児島大学シリコンバレーオフィス     22:46 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年6月23日

鹿児島大学教職員 来訪第2日目

この日、鹿児島大学からの職員一行はサンタクララ鹿児島県人会会長のお宅へ表敬訪問した。 県人会会長のお宅はシリコンバレーの南の町、モーガンヒル(Mogan Hill)で広大なナーサリー(Nursery)を営んでおられる。 この場合のナーサリーとは早い話し、巨大なお花畑屋さんである。

県人会会長は50年前、鹿児島から一人渡米され苦労に苦労を重ねてこの広大なお花畑を一代で築かれた。 当時はパンナム(パン・アメリカン航空)のプロペラ機で、途中2回給油しながら太平洋を渡ってこられたそうである。 その後、アメリカ人の農家で下働きをして僅かなお金を稼ぎ、その大半を日本の家族に仕送りをしながら、 残ったお金を貯めて自分の土地を手に入れたとのことである。 そんな苦労話しを鹿児島弁でおもしろ、おかしく話されていた。

話しの途中、「自分のナーサリーを始めた当時は、夜寝る暇もなかったから子供を作る暇もなかった。」 というジョークをおっしゃっていた。 半分はジョークかもしれないが、多分、半分は事実であろう。 私はそれを聞いて、私を含めた現代の世代が忘れている何かを語っていただいたような気がした。 ちなみに、その後事業も軌道に乗り、子宝にも恵まれ、現在は9人のお孫さんがいらっしゃるそうである。

そんな県人会会長のナーサリーも、 現在はアメリカ政府の市場開放政策のため、安いメキシコ産の花に押されているとのことであった。 どんな業種であっても、時代の波に対応して行くのは大変なことのようだ。

最後に県人会会長宅では大変な歓迎をしていただき、予定の時間をオーバーして長居させていただいた。 感謝の言葉も見つからないほどである。

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2005年6月22日

鹿児島大学教職員 来訪第1日目

この日、鹿児島大学から教職員がサンフランシスコ空港に到着したのでお迎えに上がった。 ご存知の通り、SFOに到着する日本からの便は昼頃に到着するのがほとんどである。 午後には、サンフランシスコ市内のいくつかの関係各所を訪問する予定としていた。

アポイントの時間まで少しあったので、 ゴールデンゲート・ブリッジとピア39にお連れした。 夏休みのせいか、平日にも関わらず沢山の観光客であった。

はじめにサンフランシスコ領事館に訪問させていただいた。 さすがに領事館だけあって入室するにあたりセキュリティーは非常に厳しい。 まず、ビルの1階でパスポート等の写真付き身分証明書を提示しなければならない。 そこで名前入りのシールを作成してもらう。 飛び込み(アポなし)なら、ここで結構な時間がかかってしまうのであろうが、 我々は事前に訪問者の名前を通知してあったので早かった。 領事館のある23階に上がると、さらに飛行場にあるような金属探知機の間を潜らなければ入室できなかった。

領事館の中に入ると山中誠 総領事のお部屋にお通しいただいた。 桜祭り等のイベントでテレビ出演されているのを何度もお見かけしていたが、 実際にお目にかかるのは初めてであった。

鹿児島大学シリコンバレーオフィス開設の経緯や開所式についてのご報告をさせていただく等、 いろいろお話しさせていただいた。 その際、山中総領事より、「侍から葡萄王へ」という薩摩藩より渡米してきた長澤鼎(ながさわ かなえ)について、 山中総領事自らが書かれたエッセイのコピーをいただいた。 これについては、別ブログで詳しくふれたい。

領事館の後は、JETROサンフランシスコ。 JETROは、今までにもいろいろなイベントを開催した経験があり、 豊富なノウハウをお持ちである。 我々の開所式開催にあたり、いろいろご協力いただく予定である。

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2005年6月21日

盛和塾

この10月の「鹿児島大学シリコンバレーオフィス開所式」にて、 稲盛和夫 京セラ名誉会長にご講演いただくことになったと前回ふれたが、それに関連して、今回は「盛和塾」について。

「盛和塾」とは、稲盛和夫 京セラ名誉会長を塾長として、 人としての生き方[人間哲学]、経営者としての心の持ち方[経営哲学]を学ぼうとする 企業経営者による勉強会・人生道場である。 この盛和塾は日本国内はもとより、海外にまで活動の輪を広げ、 会員は合計3,000名以上にもなっている。 アメリカでは「盛和塾USA」として、ロスアンジェルスを拠点にして活動を行っている。

今回の開所式準備を目的とした鹿児島大学本学からの教職員渡米の機会に、 この「盛和塾USA」にも挨拶まわりをすることとなった。

盛和塾USA事務局に問い合わせてみると、 この週末 6月25日(土)〜6月26日(日)は 「福井顧問特別講演/合宿(京セラフィロソフィー)」 というのが行われる予定であることがわかった。

我々は当初から、シリコンバレーから車でLAに移動する計画ではあったが、 この合宿に間に合うように、スケジュールを急遽、 朝6時に出発する計画に変更した。

さて、この様子については後日レポートしよう。

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2005年6月20日

鹿児島大学シリコンバレーオフィス開所式 概要

現在の時点で「鹿児島大学シリコンバレーオフィス開所式」について、 公開できる情報をまとめておく。

開催日時: 2005年10月24日(月曜日) 夕方

開催場所: シリコンバレー近郊

特別ゲスト: 稲盛和夫 京セラ名誉会長

内容としては、研究記念式典の他、 特別ゲストの稲盛和夫 京セラ名誉会長にご講演いただくことになった。

ここでなぜ、稲盛和夫 京セラ名誉会長が「鹿児島大学シリコンバレーオフィス開所式」で講演されるのか、 不思議に思われた方も多いと思う。 実は稲盛会長は鹿児島大学工学部の卒業生である。 今までにも鹿児島大学に「稲盛会館」の寄贈や、 「京セラ経営学講座」を経て今年の4月からは「稲盛経営技術アカデミー」も設立されている。 このような経緯から、稲盛会長に今回シリコンバレーでご講演いただく運びとなった。

著名な稲盛会長もシリコンバレーで講演されたことはほとんど無い。 シリコンバレー周辺の方、それから、この時期たまたまシリコンバレーに来られる予定の方、 今から、2005年10月24日(月曜日)のスケジュールを空けておいていただき、是非ともこの開所式にご参加していただきたい。

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2005年6月19日

鹿児島大学シリコンバレーオフィス開所式準備(1)

私の肩書きの一つに、「鹿児島大学シリコンバレーオフィス特定研究員」というものがある。 これについては、以前のエントリー「大学間連携会議 (20050607)」 などでも触れてきたとおりで、それがゆえに「シリコンバレー大学間連携会議」なるものにも出席しているわけである。

この「鹿児島大学シリコンバレーオフィス」ができた経緯や活動内容についても、 出来る限りこのブログで公開してゆきたいと思う。

この度、この「鹿児島大学シリコンバレーオフィス」の開所式、つまり「お披露目会」、 今風に言えば、「オープニング・セレモニー」と言った方が判りやすいだろうか、を執り行なうことが決定した。

ともかく今週は、この開所式の準備という目的で 鹿児島大学本学から教職員4名がシリコンバレーにやって来ることになっている。 現在、その準備でてんてこ舞いである。 この鹿児島大学教職員4名の来米の様子についても可能な限りこのブログで情報公開してゆきたい。

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2005年6月18日

私の制服? (2)

先日のブログ「私の制服? (1)」の続き。 前回はズボンとジャケットについてまでであった。

シャツは襟のあるワイシャツを着るようにしている。 柄物でなく単色ものが多い。 ズボンとジャケットがカジュアル系なので、せめてシャツだけでも フォーマルめに見えるようなものにしている。

靴に関して言うとスニーカーはちょっとカジュアルすぎるので、 黒いウォーキングシューズにしている。 これだと一見フォーマルな靴にも見えないことはない。 ついでに言うと、足の健康のためには、靴紐をきちんと締めて歩いた方がよいそうであるが、 紐靴だとどうしても面倒くさくて、靴紐をゆるめに結んでおいて、そのまま履いてしまうことの方が多い。 そこで不精者の私は、一度、靴紐の代わりにマジックテープが付いている靴を試してみた。 これがなかなか良くて、それ以来、普段履く靴はマジックテープ付きの靴にしてしまっている。

これが私の普段のファッションであり、ほとんど制服と化している。 多分、私をよく知る人は、ここまでを読みながら思い浮かべて笑っているかもしれない。

このように制服と化した同じ服や靴を何着も持っており、毎日同じものを着ているので、 「服をいつ洗濯してるのか?」と尋ねなれたこともあった。

さて、着る物に無頓着な私が、なぜ、こんなことまでブログに書くことになったかについては、 次回のエントリーとしよう。

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2005年6月17日

LSJセミナー「Bioinformatics の入門、現状、課題」(20050617)

今週の催し物」で書いたとおり、 この日は、 LSJ(Life Science in Japanese) の 第13回セミナー「Bioinformatics の入門、現状、課題」 に出席してきた。

このLSJは純粋なバイオ関係の研究者の集まりで、 私のような門外漢が参加するには敷居の高さを感じていた。

今回は特に、Bioinformatics についてということ。 また、スピーカーの瀬々さんがロボット開発などもなさっていたということで、 NHKロボコンに参加していた私にも参考になるであろう、ということで、 今回のオーガナイザーである 小柳智義さん よりお誘いを頂いた。

ということで私としてはこの会には初めての参加であったが、 主催者のうち、お二人は JBC の活動もされており、 また最近、私もJBCに出席するようになりバイオ系の方々とも交流ができてきたので思い切って参加させていただいた。

瀬々さんのBioinformaticsについてのお話しは 非常にわかりやすく、バイオとコンピュータのどちらの立場からもわかるように説明されていた。 これはバイオとコンピュータの両方の知識を持ち合わせていなければできない話しである。 言ってみれば、2ヶ国語を話すバイリンガルのような方である。 それに比べれば私などコンピュータ屋さんとしての言語しか話せないモノリンガルといったところだろうか。

例えば、「クラスタリング(clustering)」という言葉。 この言葉、コンピュータの世界は、複数のコンピュータを接続して1台のコンピュータシステムとして動作させ、 性能向上と対故障性を実現する技術のことを現すが、 バイオの世界でも別の意味で使われているそうである。

ちまたでは Bioinformatics が結構騒がれているが、 バイオとコンピュータの両方の知識を持ち合わせ、 本当の意味での掛け橋になれる人材はまだまだ不足しているそうである。

カテゴリー: JBC/LSJ     23:07 | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年6月16日

私の制服? (1)

先日のブログ「クール・ビズ (Cool Biz)」の続き。 私は着る物のパターンを決めてしまっている、というところまでであった。

これは、会社に勤めていた当時からほとんど変わっていないのだが、 仕事柄、いつ「PCの調子がおかしいから見て頂戴」と言われるかわからない。 例えばデスクトップPC。 デスクトップPCと言いながら、実は正確に言うとフロアトップPC(床の上に置いてあるということ)で、 特に調子が悪くなるようなPCはほとんどの場合、古くて埃まみれになっていることが多い。 こんなPC、よそ行きのフォーマルな服を着ていては修理できない。 それから、机の下に潜って作業することが多いが、 このような場合は、頭を保護するために帽子をかぶることにしている。 なので通常、野球帽をかぶっているか、そうでなければ、かばんの中に1つは入れてある。

ネットワーク関係の仕事や、またボランティア活動の際に時々させていただく音響係なども 結局は床に膝をつけてケーブルを這わせる作業がほとんどである。 そのため、よそ行きのズボンなど履いていられない。 しかし、Gパンだとちょっとカジュアルすぎる。 ということで、結局丈夫な生地のカジュアル・スラックスのような作業ズボンとなる。 それでもできるだけフォーマルに見えるような色となると紺色となる。

上着についても同様で、スーツのようなジャケットを着ていては汚れてしまって大変なので、結局は作業ジャンバーとなる。 これも出来るだけカジュアルっぽくない目立たない色ということで紺色となる。

それからっと、これ以上書くと長くなるので、続きは次のエントリーとしよう。

カテゴリー: シリコンバレー     19:56 | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年6月15日

SJVENボランティア・ミーティング(20050615)

SJVENは月一回、ボランティア・ミーティングを行っているが、今日はその日であった。 前回のボランティア・ミーティングについてはこのブログ に書いたとおり。

この会は必ず(必ずといっても2回目だが)自己紹介からはじまる。 集まるスタッフもSVJENの活動を長くやっている方もいれば、今回初めて参加の方もいるからである。

議題は、SVJENの活動内容について。 特にボランティア活動は、スタッフの皆さんの本業が忙しくなれば継続できなくなることが多々ある。 そんな中でボランティア団体を維持・継続させていける 組織作り、仕組み作りというのが課題となる。 今の組織のあり方や、運営のやり方で、何が問題でどうしたら解決できるかを話し合っている。 このノウハウは実際の会社運営にもつながるものであると思う。

カテゴリー: SVJEN     23:12 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年6月14日

JTPA設立3周年記念パーティー(20050614)

以前のブログ でも告知していたとおり、この日、「JTPA設立3周年記念パーティー」が開催された。 盛況にも70名を超える方々にお集まりいただいた。

このパーティーのトピックスは何と言っても 初の試みである「ビンゴゲーム」と「縄跳び」である。

ビンゴゲームといえば、 重複しない乱数を発生させればよいだけなので、 番号をコンピュータに抽出させ、その結果を電光掲示板ででも表示させればよいのであろう。 特にここハイテクのメッカ、シリコンバレーで活動しているJTPAが行うビンゴゲームということであれば、 そういうイメージがあるのかもしれない。

しかし実際に用意したのは、一個一個に番号が書いてあるピンポン球と、 その球を入れて手で回す機械(これ、実際なんと呼ぶのでしょうか?)。 それから、出てきたピンポン球を、これまた一個一個のくぼみに番号が書いてある黒い板に並べて行くのである。 全てが手作業である。でもこのようなアナログ感が妙に良かったりする。

プレゼントの景品の方はと言うと、さすがに iPod 2台がすぐになくなった。 ちなみに私には何も当たらなかった。日ごろの行いがあまりよくないのであろうか。残念。

それからもう一つの目玉である「縄跳び」
実際にパーティーを行った部屋はカーペットが敷き詰めてあるし、部屋の中には料理もある。 受付け開始前、スタッフの間で「さて、どこでやろうか」という話しになった。 ちょうど隣に空き部屋があって、そこは床がカーペットでなく 床が 「リノリウム(linoleum)」 張りになっていた。 但し、その部屋にももちろん天井からシャンデリアが下がっている。 シャンデリアに縄を引っ掛けてしまっては、それこそ大変なとこである。 心配性の私はちょっとヒヤヒヤ。 参加者の方々が来られる前にリハーサルとして実際にやってみようということで、 縄の長さを短めにして縄を回してみた。 その時点では、来ているスタッフが数人しかおらず、 結局近くに立っていた私が試し飛びさせて頂いた。 (ちなみに、引っかからずにうまく飛べました。フーッ) でも最近運動不足ぎみなので、急にハッスルして足をいためるといけないのですぐに止めた。

本番では、初めはなかなか参加する方が少なかったが徐々に増えてきた。 このページの右側からリンクが張ってある、 ブログA-POTの赤間さん などビール瓶片手に飛んでいらした。さすがである。 縄と短めにしたといっても、同時に5〜6人が中に入り、 10回くらいは続けることができた。皆さん急にやった割には上出来であろう。

アメリカ広しと言えどもシェラトンホテルのパーティールームの中で縄跳び大会をした団体というのはJTPAぐらいなものであろう。 ともかく無事にすんで何よりであった。皆様ご苦労様でございました。

カテゴリー: JTPA     23:52 | コメント (1) | トラックバック (0)

2005年6月13日

SVJEN 今野由梨氏講演会「起業家へのメッセージ」(20060613)

今週の催し物 での予告どおり、6月13日にはSVJEN の特別セミナー 今野由梨氏による「起業家へのメッセージ」と題した講演会が行われた。

今回の講演者である今野由梨氏は、 ダイヤルサービス株式会社代表取締役として、また、 女性ベンチャー起業家の草分けとして有名な方である。 女性が大学に進学することでさえ難しく、ましてや会社を作るなどまったく考えられなかった時代、 高度経済成長の重厚長大の時代に次世代の情報産業の会社を立ち上げてしまった女性である。

講演では、就職、起業準備期間、アメリカでの体験、起業とその後の奮戦模様などについて語られた。

就職では、「女だてらに」という言葉がまかり通る時代、「やる気がありすぎる」と言われて全ての会社から断られたそうである。 そのような経験から今野氏が辿りついたのは「自分を必要とする会社を自分で作るしかない」という結論であった。 それから10年間を起業準備期間と決め、並々ならぬ努力の末、 10年後には目標どおり会社を興してしまったのである。

今野氏はダイヤルサービス株式会社の事業を進めるにあたり、 電電公社(現在のNTT)との壮絶な戦いがあったそうである。 この日、会場にSVJENスタッフとしてNTT関係者の方が一人おられたが、 今野氏はお話しの途中、「電電公社は...」と言うべきところ、 いつのまにか、そのNTT関係者の方へ向かって 「あなたのところは、こんなこともしてくれなかったのよ」 と、当時のやるせない思いをその方へぶつけ始めた。 (注釈:これはもちろん今野氏の高度な話術の一種である。決してそのNTT関係者に対し本当に怒り始めたわけではない。)

1時間半に及んだ講演終了後、今野氏の著作「 ベンチャーに生きる—私のチャレンジ半生記 」の即売サイン会となった。 収益は全てネパールの学校設立に利用されるとのことであった。 私も購入させていただき、その本に私の名前、今野氏のサインに加えて、「志」と一筆書き加えていただいた。 これから、この本を読んでゆくので、内容についてはこのブログでレポートしてゆきたい。

カテゴリー: SVJEN     23:26 | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年6月12日

今週の催し物 (20050612)

今週は、シリコンバレーでの催し物が目白押しである。

6月13日(月曜日)
SVJEN 主催による特別セミナー 今野由梨氏による「起業家へのメッセージ」 これは、ウェブページでは広報されていない特別企画。 こういう事もあるので、皆さん、ちゃんとメーリングリストには登録しておきましょう。

6月14日(火曜日)
JTPA設立3周年記念パーティー私のブログ でも既に取り上げていたが、その後も、村山さんのブログ渡辺千賀さんのブログとJTPA両代表のブログで取り上げられている。 このようにJTPAスタッフ総力あげての「ぽんびき」じゃなくて「客引き」じゃなくて「広報活動」を展開中である。

6月17日(金曜日)
LSJ(Life Science in Japanese) の第13回セミナー「Bioinformatics の入門、現状、課題」  このLSJという団体は、スタンフォードのバイオ系の研究者の方々が中心なって運営している勉強会である。 通常は、BIO, BIO しているので、門外漢が行っても敷居が高そうであるが、今回は、今話題の Bioinformaticsについて。講演者の方も今までにロボット等を開発されていた研究者だそうである。 これはコンピュータ屋さんが参加しても面白そう。

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2005年6月11日

MTバックアップ(1) 「エントリーを書き出す」

Movable Type 3.17日本語版の提供を開始」でふれた通り、これからムーバブルタイプのバージョンアップを行ってゆくことになるわけだが、 その前に、緊急事態に備えて、エントリーデータのバックアップとそのリストアの方法を学んでおく必要がある。

MovableTypeのデータバックアップ機能として、 管理画面、左メニューのユーティリティー欄に 「読み込み・書き出し」というのがある。

「エントリーの書き出し・読み込み」ページの画面下には、 「エントリーを書き出す」とうい欄がある。 私のブログの場合、「シリコンバレー 24時 からエントリーを書き出す」 というリンクがある。

それから、「Internet Explorer を使っての書き出しについて」という注意書きがある。 内容はというと、データをInternet Explorerを使って書き出すと、 書き出したデータがすべて1つの行につながってしまう、というものである。

注意書きの内容は後で確認するとして、まずはリンクをクリックして試してみることにする。 すると、ブログの最初のエントリーから、あるフォーマットにあてはめられてひとつのページとして表示される。 つまり、これを保存しておけば、これがブログの全エントリーのバックアップになるということである。

具体的にバックアップをとる際に注意すべき点が見つかった。それについては別のエントリーで。

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2005年6月10日

クール・ビズ (Cool Biz)

日本では、「クール・ビズ (Cool Biz) 」という言葉が流行っているようである。 ノーネクタイ、ノースーツで、夏を涼しく過ごして、エネルギー消費量を減らそう。 ひいては二酸化炭素排出量を減らし地球温暖化を防止しよう、 ということで、これについては 「環境省地球環境局温暖化対策課国民生活対策室」という難しい漢字が21文字も続くお役所が率先しているようである。
(こういう長い名前をみると思わず「環19室」と略してしまいそう である。)

ではここシリコンバレーでは、というと言わずもがなである。 ネクタイをしている人、スーツを着ている人を探すほうが難しい。 もちろん、職種によってや、正式なパーティー等の場面では、 こちらの人もそれなりの格好をする。

では私はというと、他のシリコンバレーのエンジニアと同様、 こちらに来てからほとんどネクタイをつけたことがない。 特に自分は着る物には無頓着な方で、出かける前に何を着ていくか考えるのが面倒くさい方である。 そのため、だいたい何処に行っても差支えがないように、 カジュアルすぎず、フォーマルすぎない、最大公約数的で中間的な服装のパターンを決めてしまっている。

それでは具体的に何を着ているかについては次のエントリーとしよう。

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2005年6月 9日

Movable Type 3.17日本語版の提供を開始

Movable Type 3.17日本語版が提供され始めたとのことである。 以前から、6月上旬にバージョン3.16を出荷するというアナウンスがあったが、 米国での Movable Type 3.17の提供に伴い、バージョン3.16日本語版をスキップして、 Movable Type 3.17日本語版をリリースされたようある。

Movable Type 3.17の修正点」に 3.151-ja からの変更点について詳しく挙げられている。 内容を一通り眺めてみたが、指摘していた問題点のいくつかが修正されているようである。

例えば、【国際化/ローカライゼーション】欄に
dirify は、Latin-1だけでなくUTF-8のウェブログでも機能するようになりました。
カテゴリー名がすべて、非ラテン文字あるいは句読点からなる場合、数字のIDはその”dirified”の表記として、使用されるようになりました。
これらは、このブログのカテゴリー「MTカテゴリー」で指摘してきた問題の解決策かもしれない。

それから【設定】欄に
PublishCharsetの設定値をもとに、データベースとの接続時のエンコードを指定できるようになりました。詳細は、 SQLSetNames の項をご覧ください。
という記述があるが、これは PublishCharsetの設定値のみを変更すれば、データベース内のデータを変更することなく、サイトの表向きの文字コードを変更できるということであろうか。 それであれば、「トラックバックの文字化け で挙げていた問題が一気に解決するかもしれない。

さて、これからバージョンアップ作業を行うことになると思うが、それについても今後このブログでレポートしてゆきたい。

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2005年6月 8日

JTPA技術交流会(20050608) 「UWB(Ultra Wide Band)」について

今日はJTPA技術交流会の日であった。

今回は特に、UWB(Ultra Wide Band)について、いつもこの技術交流会に参加されている GIT(Global Interface Technologies)社 の方から実際のデモを交えてのプレゼンをしていただいた。

UWBは現在、無線PAN(Personal Area Network)の新たな技術として注目を浴びている規格である。 しかし実際のところは米軍のレーダー技術として既に50年以上前から研究されてきている技術である。 それが今注目を浴びているのは、2002年にFCCが民間での利用を認めたことによる。 現在では、IEEE802.15.3a として規格化がなされているようだ。

主な特徴としては、使用する周波数は 3.1 〜 10.6 GHz、 転送レートは最大 480Mbps、距離は 約10メートルまでと短距離だがその分デバイスを低消費電力で実装できる。

規格統一の流れの一環として、「ワイアレスUSB」という規格化の動きもあるようである。 いずれにせよ現段階では、細かいところで方式が幾通りか存在し、完全に互換性が保証された規格というわけではないようだ。 これは全ての新しい技術の立ち上がり時期に必ず通過しなければならない産みの苦しみといえる。

現在のところ UWB は日本国内での使用が認められていないので、これに関しては先ずアメリカ市場に投入されることになりそうだ。

今回のデモ基板とほぼ同じものの写真はこちら にある。デモでは、このような基板にアンテナを付けて実験を行った。 デモ内容としては、USBポートにこのUWBモジュールを付けたノートPC間で、 MPEG2の画像データを転送して表示していた。

アンテナ間を手などの導体でさえぎると画像が乱れた。 新聞紙などでは全く問題がない。これはアンテナ間をマイクロ波が飛んでいることを実感できる実験である。

今後開発される実際の製品は、基板ももっとコンパクトになって、アンテナも内蔵されるということだった。

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2005年6月 7日

大学間連携会議 (20050607)

以前にも書いたが、わたしには「鹿児島大学シリコンバレーオフィス研究員」という肩書きもあって、 それに関連して、「シリコンバレー大学間連携会議」に加わっている。 今日はその「シリコンバレー大学間連携会議」の勉強会という事で サンフランシスコまで行ってきた。

勉強会の場所は、このシリコンバレー大学間連携会議の事務局をなさっている方がお勤めのバイオベンチャー会社の会議室にて行われた。 講師はウィスコンシン大学で農学部長をなされていた先生と、 ペンシルバニア大学のTechnology Transfer(技術移転)の大家の先生、 という豪華な顔ぶれ。

参加者は、いつもの大学関係者、地方自治体からの駐在員の方などに加え JETROの所長までいらしており、 講師の先生まで含めると合計16名となり会議室が人でいっぱいになってしまった。

内容としては、大学経営、産学連携、パテントや技術移転 等について先生方の経験談をもとにアメリカの大学の実態に深く迫ったものであった。 具体例として、ウィスコンシン大学の WARF(Wisconsin Alumni Research Foundation)等が挙げられていた。

カテゴリー: JUNBA     23:28 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年6月 6日

JTPA設立3周年記念パーティー

JTPAでは、来る6月14日(火曜日)夕方6時半より、「JTPA設立3周年記念パーティー」をパロアルトのシェラトンホテルで開催する。あと一週間に迫った。詳細はJTPAの3周年パーティーページにある。

今回の目玉は、「豪華景品つきのビンゴゲーム」
スタッフの特権を生か(乱用?)して、中身をちょっとだけ暴露しちゃうと、この景品というのが結構豪華なんだな、ホントの話し。ANAアップグレード券からPS2ゲームまで。実はもっとスゴイものも密かに準備してあったりする。それから景品の数も半端じゃない。JTPAスタッフ総出でかき集めている。ということで、今回のパーティー参加者のROI(Return on Investment)は超高倍率となっている。

それから、ウェブページの方には書いてない情報だが、メーリングリストに流れたとおり、なんと「室内30人飛び縄跳び大会」を敢行する。

これはJTPAスタッフミーティングの雑談で、みんな休日は何してんの? というところから、スタッフの金城さんが「みんなで縄跳びしてます。」という話しになった。よくよく話しを聞いてみると、サンフランシスコの方で「長縄跳び同好会」らしき組織を編成し、毎週末公園にみんなで集まって、長い縄を使って何人もの人で縄を飛ぶあの長縄跳びをやっているとのことであった。「じゃー、JTPAでもそれやっちゃおーよ」ということになったのが事の運びである。

今回、折角のパーティーということで、ホテルの方にダメもとでお願いしてみたところ、なんと許可が降りたとの事である。本音を言うとスタッフながら一抹の不安もあるのだが「ほんとに大丈夫?」

さて、この「縄跳び大会」の事の顛末を知りたい方も、それから縄跳びと聞くと居ても立ってもいられない方も、皆さん是非ふるってご参加ください。

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2005年6月 5日

ゴッゴルミニ

ゴッゴルミニ」って、いったい何のことなのか?

実は、「プチSEOコンテスト開催!」で公表されている SEOコンテスト。詳しい内容はそちらに譲るとしても、要は、この「ゴッゴルミニ」という言葉を グーグルで検索したときに、どのページがトップに表示されるかを競うコンテスト。

このコンテストを行っている Su-Jine氏は既に過去2回のコンテストを開催しており、その第一回SEOコンテストに関しては、キーワード「ゴッゴル」を使って本まで出版されている。

そして今回、その出版記念として開催される記念プチSEOコンテストのキーワードがこの「ゴッゴルミニ」なのである。

このエントリーでも「ゴッゴルミニ」という言葉を使っているので、いずれグーグルにも載ると思うが、上位表示ははっきり言って難しい。普通に書いたブログページが何番目に表示されるのかが興味あるところである。

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2005年6月 4日

JBCフォーラム「研究支援ビジネス」(20050603)

昨晩はJBC(Japan Bio Community)「研究支援ビジネス」と題したフォーラムが開催された。私は音響係としてちょこっとお手伝いさせていただいた。

今回のフォーラムは、バイオ業界の研究支援ビジネスに関わるパネリスト4名、
新井芳明さん(Tomy Digital Biology)、竹花美博さん(PharmaCrafters) 、八木博さん(IMAnet)、桝本博之さん(B-Bridge) の方々にスピーカー兼パネリストとして参加していただくというもの。

フォーラムの流れとしては、まず第一部としてパネラー4名の方それぞれから約15分ずつのお話しをしていただき、次に第二部は、会場からの質問にパネラーの方々が答えてゆく形式。そして、第三部として、いわゆる二次会が深夜まで続いた。今回の進行担当だった鶴下さんによると、第一部、第二部が前座でこの「二次会」がこの会の真の目的だそうである。(笑)

お話しの内容は、コンサルタント、社長、人材派遣業というそれぞれの立場からコンサルタント先の失敗事例の紹介、起業経緯などについて。もちろんバイオ業界の話しではあるももの、その価値はバイオの世界に限定されるものでなく、起業や経営という観点からは他業種にも通ずるところが多々あり、SVJENで取り上げてもよいような内容であった。一種のケーススタディーとして私にはとても興味深かった。

JBCではすでに次回フォーラムも企画している。次回は、バイオ業界最大のイベントBIO-2005の終了直後の6月24日(金曜)である。ご興味のある方は是非どうぞ。

カテゴリー: JBC/LSJ     15:51 | コメント (0) | トラックバック (2)

2005年6月 3日

「Binar」って言葉、知ってますか?

「Binar」って言葉、知ってますか? 多分知らないでしょう。だって私がたった今作った言葉だから。

なんでこんな言葉を持ち出したかと言うと、ウェブをブラウズしていて、「Webinar(ウェビナー)」という言葉が気になったからである。 日本語ではまだ市民権を得たとは言えないと思うが、英語ではIT系でないウェブページにも使われていることがあるので、結構浸透してきているのかもしれない。

この言葉、それほど新しいわけでもなく、例えば、こちらのページでは、既に2003年の1月の時点で、この「ウェビナー(Webinar)」という言葉が解説されている。このページから言葉の定義を引用させていただくと、

ウェビナーはWeb上で開催されるバーチャルセミナーのことです。言葉どおり、ウェブ(Web)とセミナー(seminar)を組み合わせた造語です。特にWebのインタラクティブ性や、さまざまな形式のマルチメディアコンテンツの利点を生かした、オンラインセミナーのことを「ウェビナー」といいます。
ということである。

「Blog(ブログ)」という言葉は、「WebLog」が略されて、先頭の「We」が抜け落ちて「Blog」となったと言われている。そこで単純に、では「Webinar」は略されて、先頭の「We」が抜け落ちて「Binar」ってなるのでしょうか。個人的には多分そうはならないと思うけど。

今回はちょっと言葉遊びをしてしまったが、今後も「Web〜」という新しい言葉とか、それが転じて「B〜」となる言葉は生まれるのでしょうか。 皆さん、どう思われます?

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2005年6月 2日

江島健太郎 氏の「ついにビザを入手」

CNET Japanの有名ブロガー江島健太郎氏のブログに「ついにビザを入手」というエントリーがアップされている。

実は江島さんとは、このエントリーにも書かれているとおり、2004年3月に行われた第一回JTPAシリコンバレーツアーの際に、お互いにサポートスタッフとしてご一緒させていただいている。その時は、バスの中で隣に座っていろいろお話しさせていただき、今となっては懐かしい NEC PC-8001 やら PC-6001 についてとか、アセンブラでのプログラミングについてとか、お互いの昔話しに盛り上がってしまったこともあった。お話しさせて頂いて、つくづく鋭い感性と高いタレントの持ち主だと感じた。

その当時は、もうすぐ江島さんがシリコンバレーに赴任されるということで、その様子をブログでもリアルタイムでレポートされていたが、結局、ビザの問題が残念な結果に終わってしまい、その後のこの件に関するエントリーはアップされていなかった。今回のエントリー「ついにビザを入手」では、その謎の部分についても触れられている。

ここで述べられているビザ取得にいたる経緯は、正に壮絶といえるほどの涙ぐましいものである。 これを読ませて頂いて私も数年前の冬の2月、カナダのトロント米国大使館前に、午前2時から、氷点下20度の中、並んで待ったことを思い出した。(当時は、自国以外、つまり日本人の場合は日本以外の米国大使館でのビザ発給が可能であった)

ビザ取得に関しては、大半の方が何らかの苦労話をお持ちなのが実情だと思う。ただし、内容が非常にシビアなので、なかなかその実体験がブログなどで公表されることは少ないと思う。そのような意味からも、この江島さんのブログは価値あるエントリーではなかろうか。

それにしても、江島さん、本当におめでとうございました。シリコンバレーにいらっしゃれば、時々お目にかかることもあると思うので、その際はまたいろいろご指導ください。

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2005年6月 1日

JETRO/BIC 第1回ネットワーキング・パーティー

昨夜、JETRO/BIC で第1回ネットワーキング・パーティーなるものが開催されたので出席させていただいた。

まず、JETROとは、「Japan External Trade Organization」のことである。その中でも、BICとは、「Business Incubation Center」の頭文字であり、2000年9月から日本企業のシリコンバレーでの起業活動支援を目的に設立されたJETROの一機関で、サンノゼのダウンタウンの一角にある。

ここの会議室はシリコンバレーの日本人のいろいろな活動にご提供して頂いており、例えば、SJVENのラウンドテーブルシリコンバレー大学間連携会議など、私は、月に2〜3回もこのJETRO/BICに行くことがある。非常にありがたいことである。

今回のこのパーティーは5年目を迎えたBICを色々な面でリニューアルすることのお披露目と多くの関係者のより深く広いネットワーク作りを目的に行われたようである。会の名称に第1回とあるので、もしかしたら今後も定期的に行われるのかもしれない。

リニューアルの一環として、組織の名称も「Business Incubation Center」から「Business Innovation Center」へ変更されるそうである。しかし、略して書くとどちらにしてもBICであることには変わりないのだが。

この会には昨年帰任された前任ディレクターの方も特別に参加され、現ディレクターの星野氏はこれを「仮面ライダー1号、2号」と紹介されていた。:-)

私も今までに知らない各方面の方々と会うことができて有意義な会であった。今後も第2回、第3回と続けていただければと思う。

シリコンバレーでのネットワーキング・パーティーというのであれば、JTPA3周年パーティーももうすぐ開催されるので、そちらもよろしく。

カテゴリー: JETRO/総領事館     15:11 | コメント (0) | トラックバック (0)

 
ハワイ島での遊覧飛行ツアーとB&Bのスペシャリスト、スカイメリカ
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